●学歴社会は続く①
所用で大宮までいった。強風のため電車が止まるのではないかと気が気ではなかった。こういう機会でしか新聞を読むことをしないので、キオスクで新聞を買って読んでいた。
内申書記載ミス、私立高校で1人追加合格(千葉)
入試得点50点低く入力ミス…謝罪し合格伝える(山梨)
内申書記載ミスで5が3…25人が公立高校不合格に(千葉)
教育系の新聞にはもっといろいろ入試結果に関する大人側のミスが乗っているが、一般紙にまでこういう情報が載るとは、政治だけでなく公的機関がおこなうことへの信頼度がまたまた急降下することになる。一応建前上は公的な資格、試験においてミスや失敗はないという前提があると思う。(まったくなければだれも受験する気にはなれないし・・・)
試験などが開催されているときに発覚することは、情報隠ぺいできるような国家ではないので、どうしても明るみになるが、今までは非公開の場所で行われていることに関しては、きっといろいろ失敗やミスがあったはずだが、最近は個人の情報の大切さが増し、その情報を個人が見ることができ、さらに公共の電波を使わずにも個人でその情報を加工、発信できるようになったため見えなかったものが一気に見え出してきている。
「公」であれ「私」であれ人がやっていることなので失敗やミスがつきものだが、今までのような信頼感や絶対保証のような立場で情報の操作ができる余地がかなり狭まっているのだろう。無理やり隠せばいい訳もなく、なんでもオープンにするという発想も安直だと私は思う。
中3生の子どもにすれば入試の合格・不合格の結果は非常に心理的に大きな差になるだろう。大人側のミスの結果、合格になる子も実際は不合格だけれどもう合格通知を出したのでそのまま合格となる子も、誰なのか分からないような配慮をするといったって、当事者はそんな簡単に「わかりました」と思えないだろう。
情報公開的なことがすすめばすすむほど、ハッピーになる部分とデンジャラスになる部分があることを教えておかないといけない。情報公開は、今まで見ないふりをしてきた部分を見なければならないことになる。
そういうデンジャラスな部分を見たがる大衆の希望を叶えるという風見鶏のマスコミの報道は一見、爽快感や清々しさがあるように感じる人も多くいるのだろうが、実は自分の方にも向いている刃があることは、本当に目を開いてものを考えている人でないと刺さってから気づくことになるように思う。
続く
by n-susan
| 2013-03-18 13:50
| きょういくのこと