●ジグソー法
「知識構成型ジグソー法」という学習指導方法がある。数名のグループごとに分かれて資料を読み、それぞれ理解した知識を持ち寄ることで、与えられた課題の全体像をつかみ、テーマを解決を目指していく学習方法だ。
埼玉県は東京大学と連携し、仲間と話し合いながら自分なりの理解を深めていくこの「協調学習」のスタイルを公立高校などで試みている。
埼玉県内の公立中・高76校が研究指定校となっていて、Neo Schoolから一番近い学校は、伝統校の春日部女子高校。国語の授業で夏目漱石の「こころ」を題材にこのジグソー法での授業をおこなったそうだ。
どうしてなのか?というテーマを掘り下げていくことで、理解度を高め、表現力を磨き、集団でのコミュニケーション力も高める手法だというが、制限時間内に仕上げていくことも含めて学習意欲を高めるやり方としては特段新しいことではない。
東京大学との連携で行われているというブランド力で話題となっているところが何とも日本的だと思う。
私の勝手な妄想では、このジグソー法の学習はネットを使った学習ツールとミックスさせて発展の道を辿ると思っている。もちろん学生が使う場合はさまざまな反則行為を防ぐようなルールを作る必要があるかもしれないが、基本的には自由討論でテーマへのアプローチが面白い。
多様な考え方の人たちを許容し、自分の考え方を作っていく、盲従ではなく、自己陶酔でもない、バランス感が必要とされるこれからの社会では、かなり多くの変な人たちと話し合って共通項を見出し、お互いが見つけだすべき解決法にたどり着く訓練が重要だ。
日本的なホンネとタテマエの文化は独特だし、メンツが大事な人、ホンネだけがすべてという人もいるだろう。学校の学習に取り入れる狙いは、勉強を通して表現力のあるコミュニケーション能力の高い子たちになって欲しいということだ。
さらに、どうしてなの?ということを理解しようとすることは他者理解が重要で、とても参考になることもポイントとなる。さらには、全体理解につながる。
日本人の苦手なところなのだ。
私には理解できない!と二元論でかたずける人と理解するふりをしてタテマエの表面的な対応をする人、恐らく日本人の大半のメンタリティーのような気がしている。それは心から自分の考え方を変えていないという点では同じだ。実は、こういった考え方が最悪の結果に導く過去の歴史が繰り返されていることに学ぶべきだと思う。
古くて新しいこのジグソ―法が、メンタルがカチカチの日本人の発想を柔らかくしてくれることを願っちゃう。
世の中の流れが、
自己の自立、
地域の自立、
国家の自立を求めている。
個人が自立していない社会では、組織が自立できない、そんな組織の最たるものが国家なんだから自立できるわけないじゃん。考え方が偏り、大勢に頼り、行動なき意見を述べるだけの<人民の気風>じゃ、戦争する道か、わがままな国にやられちゃうよ、と150年前の福沢諭吉さんに言われちゃってます。
私はそこまで期待しちゃう! ジグソー法!⇒http://coref.u-tokyo.ac.jp/archives/5515
by n-susan
| 2014-02-18 00:00
| きょういくのこと